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初めに
「こころ」は夏目漱石の後期三部作の代表的な作品である。これは愛情を描写している物語なので、私は大好きであり、特に主人公の微妙な心理描写に感心して、何度も丁寧に読んできた。
愛情は人間の永遠の話題だ。愛情は人間の人生の中で重要な部分を占めている。私は愛情を描写する小説が特に好きなのだ。この小説を読むことによって、様々な愛情物語を知り、それぞれの人生を味わうことができる。
小説は、登場人物の先生、K、お嬢さんなど三人の間で展開されている愛情を描いたものである。先生はお嬢さんのことが好きだが、どうしても彼女にその心を打ち明ける勇気はなかった。Kもお嬢さんのことが好きなので、先生にこのことを教えた。先生はこのことを知ってから、Kが知らないうちに、奥さんにお嬢さんと結婚したいと言った。それが元で、Kはショックを受けて、自殺した。先生とお嬢さんが結婚後、幸せそうに見えるが、実際内心がとてもつらいので、結局彼も自殺した。では、先生とKは愛情に対して、いったいどう思っているか、二人はそれぞれどういう違った愛情観を持っているか。これについて私の興味が誘われて、一応検討してみたい気がした。本文ではこれを中心に、先生とK二人の愛情観の内容、形成原因などについて比較しながら、私なりの考えを検討してみようとすることにした。
本論
第一章 「こころ」の粗筋と創作背景 www.eeeLW.COM
1.1夏目漱石の創作生涯について
明治以後の日本文学において森鴎外と並ぶ双璧とも言うべき代表的作家である夏目漱石は慶応3年(一八六七年)江戸牛込馬場下横町(つまり現在の東京都新宿区喜久井町一番地)に生まれる。生後まもなく里子になるが、連れ戻される。10歳の時、養子に出されるが、養父の浮気のため離婚。養母との生活を経て、実家に戻る。最初は大学の教師になるが、あとはイギリスに留学して2年間帰国する。彼は日本の小説家、評論家、英文学者である。本名は夏目金之助。「我輩は猫である」で文壇に登場し、「坊ちゃん」、「草枕」などで名声を確立した。自然主義文学に抗し、鋭い文明批判の精神によって独身の文学を打ち立てた。彼は国民に尊重された作家の一人だ。また、彼は同時代の近代の作家のみならず後代の作家に対して大きな影響を与えていると言われる。彼の写真は千円札に印刷されたことがある[31]。
ほかの作品には、前期三部作「三四郎」、「それから」、「門」、後期三部作「彼岸過ぎ迄」、「行人」、「こころ」がある。これはみんなとても有名な作品だ。
1.2「こころ」の粗筋
旅行をした「私」は鎌倉の海水浴場で先生と知り合い、東京に戻った後も先生の家に出入りするようになる。先生は世間との交渉が薄い。「私」は大学を卒業後、実家に帰省した。そこへ先生から分厚い手紙が私のもとへ届く。この手紙に、先生は自分の一生を紹介した。「小さい時両親がなくなり、頼りにしていた叔父に財産を騙し取られた。大学の時、私は母と娘の二人暮らしの家に下宿し、娘のことが好きだった。一緒に暮らす親友Kも娘のことが好き、その気持ちを私に打ち明けた。私はKの知らぬ間に、奥さんに彼女と結婚を申し込み、承諾を得られた。それを聞いたKは自殺した。「私」はKに対する罪悪感を持ち、明治天皇の崩御と共に自殺すると決心した。しかし、何も知らぬ妻には秘密にしておいてください。」と先生の手紙はここで終わっていた[32]。
1.3「こころ」の創作背景
小説「こころ」は作者の晩年に書かれるものだ。「こころ」は、大正三年四月二十日から八月十一日まで百十回に渡って朝日新聞に連載された。「こころ」は「上 先生と私」、「中 両親と私」、「下 先生と遺書」の三篇から成っている。もともと、漱石はいろいろな短編を書き、それらを「こころ」という題で統一するつもりだった。しかし、第一話であるはずの短編「先生の遺書」が長引きそうになったため、その一編だけを三部構成にして出版することにし、題名は「こころ」と元のままにしておいたのである。このことは単行本に書かれた序文から明らかである[33]。
「こころ」には、明治という時代の人々の生活とその考え方が色濃く反映している[34]。先生は高等遊民であり、彼の倫理観が、この小説の主輪をなしており、先生は遺書の中で明治の精神に殉死するとある。しかし、実際、先生はKに恋人を奪いて罪悪感を持って、自殺したのではないかと私が思う。
第二章 先生が愛情に対する態度とそれを形成した原因
次は先生が愛情に対してどんな態度を持っているか、またそれを形成する原因は何であるか、私がその愛情観に対してどう考えるかについて検討し、述べてみようと思う。
2.1先生の愛情観について
まず、先生は婚姻の中で、愛情が必要だと思われる。これは先生が叔父の娘(つまり自分の従妹)との結婚問題にはっきり断ることからよく分かる。従妹と結婚すれば、双方共便宜になるが、それでも先生は耐えられなかった[35]。先生の遺書にはこう書いてある。「あるいはそうなのかもしれませんが、おそらくその従妹に無頓着であったのが、おもな原因になっているのでしょう。私は子供のうち市にいる叔父の家へ始終遊びに行きました。ただ行くばかりでなく、よくそこに泊まりました。そうしてこの従妹とはその時分から親しかったのです。あなたもご承知でしょう、兄妹の間に恋の成立した例のないのを。私はこの公認された事実を勝手に敷衍しているかもしれないが、終始接触して親しくなり過ぎた男女の間には、恋に必要な刺激の起こる清新な感じが失われてしまうように考えています。香をかぎうるのは、香を焚きだした瞬間に限るごとく、酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にあるごとく、恋の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上に存在しているとしか思われないのです。一度平気でそこを通り抜けたら、馴れれば馴れるほど、親しみが増すだけで、恋の神経はだんだん麻痺して来るだけです。私はどう考え直しても、この従妹を妻にする気にはなれませんでした。[36]」と。先生は自分の従妹に対してただ兄妹の情を持ち、その中で、愛情と言う物がない。だから、先生は従妹と結婚したくないのだ。
それから、先生がお嬢さんに好感を持っていても、なかなか言えなく、これは普通の人と同じような照れくささだ。先生はお嬢さんに一種の単純な愛を持っているということが大事なのだと私は思っている。これは先生が「私は金に対して人類を疑ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなっかたのです。」からわかる。しかし、先生は愛の当事者お嬢さんに告白したことがなく、お嬢さんの母親すなわち奥さんにお嬢さんを自分のお嫁にしたいことを頼んだ。こういう点からもあの時代の風潮を窺うことができるのである。現代の目で見れば、これはとても不思議なことだろう。恋愛の相手に告白することは大切だからだと思われる。最初、先生は、奥さんは自分のお金を狙うかどうかと思って奥さんを疑っていた。だから先生はなかなか言えなかったのである。
先生は愛の面では、利己的な男だ。また、Kと比べると、自信のない人だ。知友のKが先生に自分がお嬢さんが好きだと教えた時、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と先生は彼に言い放した。これはKの前に横たわる恋の行く手を塞ごうとしたのだと先生は思っていた。下品な先生はKの知らないうちに、奥さんにお嬢さんをお嫁にしてくださいと言い出した。奥さんも承知した。しかし、これはKにとってこの上もないショックなのである。彼はとうとう自殺してしまった。友情より、先生は愛情を選ぶことにした。
2.2先生の愛情観が形成された原因
先生のこのような愛情観が形成された原因となると、時代の背景と彼自身の成長した背景から見なければならない。
まずは時代の背景だ。先生が生活する時代は明治時代だ。明治時代に、軍事と経済に急速な発展を遂げていたが、婚姻的にはまだ前時代の思想と同じだろうと私は思う。この時代には婚姻的にはお金というものが重要だと考えられている[37]。と同時に、婚姻の中で、女の人には言う権利がないという悲惨な事実も明らか様にされている。女の子は自分の婚姻については結婚前は親の話に従い、結婚後は夫の話に従うものだ。こういう観点からすれば、先生の愛情観への理解はしやすくなるのだろう。
また、先生の成長されてきた家庭環境から見ても、先生のそういった人生観と愛情観が分かる。先生は小さい時から、両親がなくなった。両親が残った財産は親しい叔父に騙されていった。これは先生にとって大きなショックだった。先生はそれから人間を信じられなくなった。それでいつも人間を疑い、特に自分と親しい関係を持ている人にまでそう言う心持ちがしている。これは先生の愛情観が形成された大きな原因となっていると私は考える。
2.3先生の愛情観に対する私見
先生の愛情に対する態度について、私は再び愛という問題を考えなおしてみた。現代人の目で見ると、先生はおかしい人だろうと考えられるが、しかし、その愛情観の形成原因を明らかにしたら、先生と言う人物もだんだん分かってくるような気がした。先生はお嬢さんを手に入れるために、自分の一番親しい友たちを裏切った。これはもちろん許さないことだと考えられる。しかし、これは先生が勇気を持って、愛情を追求する現われなのではないであろうかと私は思う。ただ先生はKが自殺するまで考えることがなかった。先生のやり方は酷すぎるのかもしれないが、しかし、先生のそのような世の中でのすべてを問題にしなくて勇気に愛情を追求する精神に私は感心せずにはいられなかった。
また、好きな人に告白する勇気も重要だと思う。もし最初から先生がお嬢さんに自分の心中を告白すれば、この悲惨な結果は免れるかもしれない。いくら好きであっても、はっきり言わないと、相手が知るはずはないのであろう。その時は相手に断られても、残念なことは残らないのであり、以後の人生の途中で、物足りないという感じもないのだと、私は思う。
第三章 Kが愛情に対する態度とそれが形成された原因
次はKが愛情に対してどんな態度を持っているが、またそれを形成する原因は何であるか、私がその愛情観に対してどう考えるかについて検討し、述べて見よう。
3.1Kの愛情観について
Kはお嬢さんに会う前に、恐らく愛情について何も考えることはないだろうと私は思う。一歩進んで言えば、Kは家庭の関係で、坊さんらしく暮らしていた。彼は真宗の坊さんの子なのだ。まだ彼は中学の時、ある医者の所へ養子にやられた。それでも、彼は坊さんの気質があると思う。作者も「寺に生まれた彼は、常に精進と言う言葉を使いました。」と書いた。先生はその遺書の中で、Kの坊さんらしいことを詳しく描いた。ある夏休みで、Kは国へ帰らなく、ある寺で勉強したのはその背景だのである。「彼の座敷は本堂のすぐ傍の狭い室でしたが、彼はそこで自分の思う通りに勉強ができたのを喜んでいるらしく見えました。私はその時彼の生活の段々坊さんらしくなって行くのを認めたように思います。彼は手頚に珠数を懸けていました。私がそれは何のためだと尋ねたら、彼は親指で一つ二つと勘定する真似をして見せました。彼はこうして日に何遍も珠数の輪を勘定するらしかったのです。ただしその意味は私には解かりません。円い輪になっているものを一粒ずつ数えてゆけば、どこまで数えていっても結局はありません。Kはどんな所でどんな心持がして、爪繰る手を留めたでしょう。詰まらない事ですが、私はよくそれを思うのです。[38]」というふうに書いた。Kは坊さんの精神を持って、まじめに勉強するつもりだと私が思う。そのほかに、何も考えることはないだろう。
それから、Kは自分がお嬢さんに切ない恋をするのでも、お嬢さんに告白することはなかった。ただお嬢さんへの苦しい思いをしていることだけは、Kは先生に言ってあげた。彼は照れくさいのではなく、前に進めるかどうかという問題に迷うのだ。これはKは始めて好きな人がいたのだった。しかし、彼はどうしたらよいか分からないのだ。すると、彼は一番親しい友達、つまり先生に聞くのだ。ここから見ても、Kが自分に自信がないことは分かる。Kは家庭の関係で、一人で生活する。つまり、学校へ行きながら、自分の手で、生活を維持する。Kの生活は大変であることが想像して分かるだろう。Kは社会生活の苦しさがよく分かる。だから、Kはお嬢さんに告白すれば、お嬢さんに苦しい生活をさせるという恐れがあるかもしれないと私が考える。それで、Kはお嬢さんに告白しなかったのはそれなりの理由があるのだと思う。
最後に、Kには愛情を追求する精神がないと思う。Kはお嬢さんのことについて先生に尋ねた。先生は「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ。」と言った。これはKにとって大きなショックだ。彼は愛情を追求する勇気もなくなった。また、奥さんの口から先生がお嬢さんと結婚したいと聞いたら、彼は自分の内心の気持ちを隠して、ただおめでとうとだけ話した。確かに、Kにとって一番親しい友達に裏切られたということはなによりのことだ。しかし、それはKが愛情を断念する言い訳だと私は考えている。
3.2Kの愛情観が形成された原因
Kのこのような愛情観がてきた原因というと、同じく時代の背景と彼自身の成長した背景から見なければならない。
まず置かれている時代の背景と言えば、Kが生活する時代は先生と同じ明治時代だ。だから、Kは先生と一緒に明治時代の思想の影響を受けていたと思う。もちろん、愛情についても同じだ。明治時代に明治維新のせいで、人々の思想もだんだん変わっていくようになった[39]。そういう思想の中では、愛情に対する態度も含まれているのだと思う。人々は時代とともに自由に愛情を追い求めるようになってきた。それでも、まだ前時代の思想の中から完全に脱出したというわけではなかろう。これがKの愛情観に形成された当時代の背景だったと思う。
Kの愛情観に形成されたもう一つの重要な原因は彼の家庭環境だと思う。彼の生家は真宗の坊さんなので、彼は多少その影響を受けると思う。且つその影響はかなりの部分を占めていると小説から分かる。中学の時、彼は医者さんの養子になる、進路の問題で、養家と絶縁になって、実家は彼の学資を養家に弁償した後も彼と勘当してしまった。言い換えると、Kは学校勉強と同時に、自分の生活を維持しなければならない。これはKにとって大変な暮らしだ。もちろんこれもKの愛情観に形成された原因だと私が考えた。
3.3Kの愛情観に対する私見
Kの愛情観がまだ成熟ではないと私は思っている。彼はただお嬢さんが好きで、ほかには何もしなかった。これは彼自身の制約になるものだろう。私の考えでは、とりあえずお嬢さんに告白すべきだ。前述した通り、好きな人に告白することは何よりも大切なことだと思う。
また、彼は進路と愛情の間に、バランスが取れるかどうかという問題にまだ疑問を抱いている。道のためにはすべてを犠牲すべきものだというのが彼の第一信条だと言える。先生はKのこの観点こそを利用して、彼が納得のいくように説得したのだ。これがおかしいと私は思った。人生の進路と愛情との間には実は必然的な関係がないだろう。学生時代に、愛情というものは確かに不安定なものだと言えるが、しかし、その時の愛情こそ一番珍しいもので、大切に守るものだと私は思う。
第四章 先生とKとの愛情観における比較
ここでは、前述した基準の上で、先生とKとの愛情観を比較してみようと思う。
まず、先生とKとでは愛情について同じ考え方を持っていると思う。彼らの心の底ではともに自由の愛情を追求するつもりだったろう[40]。彼らはともにその時代の知識人であり、自分自身の理想を実現するために頑張るものなのだ。特にKは未来の道のために、なんでも不重要なことだと思われた。彼らは理想のある知識人なので、きっと理想的愛情の夢を持っているのだろう。つまり、お互いに好きで、その基で結婚する順番だと私が考えている。しかし、実際、先生は大事な本人に告白するのでなく、奥さんにお嬢さんと結婚したいと告げただけである。これは先生の内心に、Kに先を争うという恐れがあるから、そうしたのだろう。彼らは愛情を前にしてどちらもとても矛盾した思想を持っているのだろう。最後に、二人ともはお嬢さんに告白しなく、先生は直接に奥さんに告げたが、Kは諦めてしまった。原因を探ってみれば、先生の愛情観とKの愛情観は大きな区別があるからだと思う。
小説では、Kと先生はともに自殺して終わった。二人はなぜ自殺で自分の運命を終えたかはこの論文の検討する範囲ではないが、しかし、愛情はその重要な原因を占めているのには間違いがないと思う。先生はお嬢さんを手に入れるために、Kを裏切った。Kが自殺後、先生はとても痛く感じられた。それによって、先生は愛情の前では、まだ成熟していないと言えよう。彼の行動もあまり衝動的なものであり、先生と比べると、Kのほうは比較的に成熟していると言えよう。先生は愛情のためにKとの友情を全部忘れてしまったが、それに対して、Kはずっと先生との友情を大切にしていると私は思う。
こう分析してみると、先生は完全の悪人だろうか、また、Kは非常に可哀相に見えているか。私はそう思わない。先生がたくさんの悪事をしたことは事実だが、このすべてはみんな愛情のためにしたのだろう。先生がお嬢さんと結婚してから、小説の中での「私」にいつも言う言葉は「恋は罪悪です。」だ。恋は罪悪だと先生は言った。彼はずっとKに気が咎めていた。最後に、自殺してしまう。ここから見て、先生はすべての面でみな悪いとは言えないと思う。少なくとも彼は完全の悪人ではない。彼がお嬢さんに真心を込めていることに私は感心してならない。先生はお嬢さんのことが大好きであるとの気持ちは本当なのだ。これが一番重要だと私は思う。
しかし、そうすると、Kがお嬢さんのことを心から愛していないと言えるもんか。そうではない。Kもお嬢さんに本当の感情を持っていると思う。ただKはお嬢さんにまだ告白しないうちに、先生とお嬢さんとの結婚約束を知った。これはKにとって莫大なショックなのである。それが元でKは自殺してしまった。だから、Kは可哀相に見える。しかし、たとえKはお嬢さんに告白する機会があっても、彼は内心ではきっといろいろの心配があるだろう。現に自分の家計の貧しさはお嬢さんと奥さんに嫌われるかどうかとか、お嬢さんと結婚すれば自分未来の「道」の邪魔になるかどうか、などきっとKに悩まれるだろうと私が推測した。だから、たとえ機会があっても、Kはなかなか告白できないだろう。それがもとで、より一歩進んだ行動は必ずないのだ。こういう点では比べれば、先生の方がむしろ有難いと思う。これこそ二人愛情観の大きな区別ではなかろうか。
終わりに
私は原版小説「こころ」と中国語訳の「こころ」を丁寧に繰り返して読んできた。特に重要だと思われる部分は何度も読み比べ、忘れないように線をつけてあった。
本論はまず作者と小説についての粗筋をまとめて、それから、先生とKの愛情観と二人の愛情観に形成された原因をめぐって検討してみた。また、それに対する私なりの考え方を述べてみた。時間、紙幅及び私の日本語の表現能力の制限により、検討不十分、分析不足なところなど必ずたくさん存在されていると思うので、諸先生からいろいろご指摘ご指導下されば幸甚に存じる。
謝辞
本論文を書いている間に、指導教官顧盤明先生に、論文のテーマ決定から、資料集積、書き方、原稿表現まで常に丁寧に温かくご指導いただき、謹んで感謝の意を表す、そして、いろいろ支援していただいた同級生の皆様に感謝の意を表す。
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