分类:免费论文 更新时间:11-17 来源:网络
はじめに
ご周知のように、我々中国人は大きいものが好きである。それに対して、隣国の日本人が使ったものはみんな小さいもののように見える。今日日本の製品は小さくて手が込んでいるので、世界中に非常に人気がある。そして、日本人は自然の風景を縮小し、鉢植えにして家に置くことが好きである。それに、日本人は文庫本が非常に好きである。韓国の学者李御寧[i]が『「縮み」志向の日本人』[i]という本をまとめる。李氏は日本人のこの縮小志向を「縮み」志向と言い、さらにその「縮み」志向を入れ子型(込める)、扇子型(折り畳む)、姉さま人形型(削り取る)、折詰弁当型(詰める)、能面型(構える)、紋章型(凝らせる)の6つの類型に分けて解説している。私はこの本を読んで、またインターネットでこの方面の資料をいろいろ調べてみて、これを論文テーマにしたらどうかと思うようになった。私は李氏の説を踏まえて、自分なりにこの縮み志向を考えたい。そして、この論文を通じて、日本人の国民性のことをご検討、ご紹介したいと思う。
第一章 縮みの伝統
日本には、もともと文字がなかったのである。それで、やまと言葉を書き表すために、日本人は中国から伝わった漢字を利用する方法を考え出した。仮名がない時代には、漢字の音だけを使って書くことが行った。平安初期になると、漢字をもとにして平仮名、片假名が作られた。平仮名は漢字の草書体とその簡略化からできたのものであるが、片仮名は漢字楷書体の一部分をとって作られたものである。
そして、日本人が小さいものを好むことは平安中期に遡る。女子文学者の清少納言は『枕草子』にこう言った。「うつくしきもの、ふりに書きたる兒の顏。雀の子のねずなきするにをどりくる。又紅粉などつけて居ゑたれば、親雀の蟲など持て來てくくむるも、いとらうたし。三つばかりなる兒の、急ぎて這ひくる道に、いとちひさき塵などのありけるを、目敏に見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、おとななどに見せたる、いとうつくし。···」[i]と、さらには、最後に何もかも小さいものが美しいとまとまった。
これらの例から見ると、日本人は小さいものが美しいと思って、中国などの外部からの文化やものを縮めて、手ごろなものにするという伝統があるのではないかと思う。
第二章 縮み志向の伝統的な表れ
2.1 生活文化における縮み文化
2.1.1庭園
巨大な自然の景色を自分の家へ引き入れようという考えが多くの人々の夢であり、その夢を実現したのは、庭園という形である。庭園とは観賞、逍遥するため、樹木を植え築山、泉池などを設けた庭のことである。特に計画して、作った庭のことである[i]。聳える山、流れる川、様々な花、草、石などの景色をどのように自分の家に招くことが肝心である。そもそも庭園というものは、宇宙を表現するためのものであると言われている。宇宙は豊富多彩で、物事の種類も数え切れないほどである。だから、中国などの大陸風の庭園は、広々とした自然をそのまま庭園に移し、大きな空間を使い、宇宙を雄大に表現しているのもごく自然であろう。
ところが、西暦紀元6世紀、中国の庭園は仏教に従って日本に入ってきた。自然の条件と文化の背景に合うように、日本の庭園は次第に自分の特有な風格を持つようになってきた。日本庭園は自然を模倣するが、自然をまる移しではない。自然の風景を縮め、庭園の中に入れ、小さい庭園を美しい自然の縮図にするのである。そのため日本の庭園文化は「縮みの文化」と呼ばれている。日本庭園の中で最も人を驚嘆させるものは枯山水で、日本庭園の粋と称しえる。枯山水式の庭園は、即ち水がなく、しかも、主に石、白砂,蘚苔を材料にして、白砂で水を表し、石で山を表し、それら不動の物を生命と自然の主体に体現し、抽象美を追求しようとする。以下、枯山水に含まれた代表する典型的庭園を紹介したい。
室町時代後期京都市竜安寺に位置している竜安寺石庭である。日本竜安寺石庭のは、幅が25メートル、奥行き10メートルの敷地に、本物の水を使わず小さな白い石と15個の大きな石だけで、山水を表現している。この竜安寺石庭は、正に「縮められた自然」である。これだけの小さな空間で、見事に「宇宙」を表現している。ひとつ注意すべきところがある。龍安寺の石庭は、自然を縮めようとしたとき、木でも水でも使わず、ただ石を使うのが非常によい点であると思う。なぜなら、木は伸びたり、枯れたりするし、水も溢れたり、乾いたりすることがある。それを人間に喩えると、肉と血のようなもので、石は庭園の骨格で、この骨格によって、自然は縮みの空間として庭園に取り入れることができたのである[i]。日本の竜安寺石庭はフランスのベルサイユ宮殿などに比べて、正に小型で、縮み文化の日本を象徴した「庭園」と言えるであろう。
2.1.2 盆栽
盆栽とは陶磁器の鉢などに植物を栽培し、樹姿を整えて自然の雅趣を表し、観賞するものである[i]。盆栽の原型になる「盆景」の発祥地は中国である。中国では唐の時代から盆景があった。その盆景が平安時代に日本に伝わったのである。平安時代の貴族が小さな器に草木を植えて棚に置き鑑賞したのが始まりとされている。その後、室町時代後期の華やかな東山文化の繁栄と共に発展し、江戸時代には大名から町民まで幅広くひろまった。 特に江戸時代には、多くの大名の間で盆栽ブームがおこり、各々盆栽鉢専門の焼き物師を抱え、盆栽の競技会が開催されるほどになった。この頃から「盆栽」という言葉が使われ始めたと言われている[i]。
盆栽はただの小天地の木ではないのである。広闊な空間と数百年の時間が凝結したもので、荒磯が海全体を示す記号であるように、手の指ほどの盆栽のあの木々も、それが育った風土のすべてを示してくれている象徴の言語なのである。たとえば、その樹形のなかに「ほうき立ち」というのがある。幹の中間から箒を逆さにした扇形の拡がりを持った樹形であるが、これはケヤキに多く、武蔵野の雑木林の景をほうふつとさせるものである。
自然を削って簡素化することにより、広い宇宙を枯山水にして縁側にまで持ってきた庭――それをさらに縮めて部屋の棚の上に持って来たのが箱庭であり、盆石であり、盆栽である。しかし、盆栽といっても、なお縮むことができて、クレーンで運ぶ大きな盆栽からはじまって皇居の盆栽など大型盆栽(樹高90センチ以上)→中型盆栽(樹高50センチ前後)→片手盆栽→小品盆栽(樹高25センチ前後)→豆盆栽と縮小してゆく。こうして、縁側にある自然で満足できなかった日本人は、枕元までキリキリと自然を引っ張ってくる[i]。
2.1.3扇子
「扇」という漢字は、本来風に動く軽い扉のことを意味し、そこから転じて団扇のことを言うようになった。『古今注』に扇(五明扇)を作ったのは舜であり、殷代には雉の羽を使った雉尾扇があったという記録が見える[i]。扇子は中国から伝わってきた団扇をもとに、それを折りたたみ式にしたものであると言われている。最初に現れた扇子は30cmほどの長さに2、3cm幅の薄い檜の板を重ねて作る檜扇と呼ばれるもので、これは奈良時代から平安時代の初期にかけて世に現れたといわれる。紙は貼られておらず、その起りは一説には木簡を束ね一方の端に穴を開け、そこに紐などを通して縛ったものであるという。その後平安時代の中頃までに、5本または6本の細い骨に紙を貼った蝙蝠扇が夏の扇として現れる。これが現在一般に見られる扇の原型である[i]。
この平たい形で、固定した団扇は、中国に広く普及していたが、誰もそれを畳んで縮めようとは考えなかった。日本人が団扇に使われた材料を畳んで一握りにできる形に変えて、今のような扇子になったのである。扇子は最も直接な形で「縮み志向」を表れているものであると言える。
2.1.4姉様人形
「縮みの志向」でもっともよく見られるのは、ミニチュアである。実物をそのまま縮小させたり、それを真似て小さな模型を作ったりする方法である。日本に開発されたミニチュアは世界一である。たとえば、世界で一番小さい飛行機の模型は、全長1.6センチ、翼幅1センチで、ハエよりも微小なものである[i]。その中で大衆文化の普遍的な現象として表しているものがまさに人形なのである。
日本は人形を観賞する歴史が古いだけでなく、その種類も空の星ほどに多い。裸の御所人形、衣裳を着た浮世人形、二十人立ち、三十人立ちの多人数揃えを組にしたきめこみ人形、木彫りに彩色した奈良人形、紙や錦で男女の姿をかたどった紙びな、箱庭にも使われた小さい芥子(けし)人形……と、きりがない[i]。けれども、この人形のなかでも、日本独特なミニチュアの縮み方を表しているのは、姉様人形ではないかと思う。姉様人形は江戸時代から伝わる紙人形で、松江藩の御殿女中や武家の娘が作って遊んだのが始まりと伝えられている。姉様人形はその手足が省略されているのが特徴である。つまり、姉様人形が見せてくれている縮みの様式は、手も足も取って、ごとく頭の丸と身の直線が残るだろう。姉さま人形が他の人形とは違い、そして実に世界のどの人形とも違う独特なミニチュアだというのは、後ろ姿を表に見せて飾るといわれている、とのことである。
複雑なもの、無駄なものを大胆に切り捨てる。手も足もない姉様人形は、日本の美学の最もの表れではなかろうか。
2.1.5弁当
侍が本刀とそれを縮めた脇差しの二刀をもっていたように、日本人は本膳とそれを縮めた弁当の二つの膳で暮らしている。
弁当の起源は平安時代まで遡ることができる。当時は「頓食」と呼ばれたおにぎりのほか、「干し飯」または「糒」と呼ばれる、調理済みの乾燥米が携帯用の食料として利用されていた。干し飯は小さな入れ物に保管することができ、そのまま食べる、あるいはこれを水に入れて煮るなどして食べられていた。安土桃山時代には、現代でも見られるような漆器の弁当箱が作られるようになり、この時代より、弁当は花見や茶会といった場で食べられるようになった。
弁当とは食膳をもっと小さい箱の中に縮めたものにほかならないのである。そして、弁当が縮み文化になれるのは弁当箱次第である。弁当箱は食膳を縮めて可動的なものになる工具である。食膳が塊りにして弁当箱に詰められる。
2.2 文学における縮み文化
日本文学の中には、どうも小さいものには特別の魅力があるのようである。近代においては、芥川龍之介の『羅生門』『鼻』など、多くの短編小説の傑作があり、そのすばらしさに印象深かったのである。古代においては、物語、俳句にも縮み志向が見られる。
2.2.1物語
まずは物語、ここに、「一寸法師」の唱歌について話したいと思う。
指にたりない一寸法師 小さいからだに大きな望み お椀の舟に箸のかい
京へはるばるのぼりゆく
京は三条の大臣殿に 抱えられたる一寸法師 法師法師とお気に入り 姫のお伴で清水へ
さても帰りの清水坂に 鬼が一匹現れ出でて 食ってかかればその口へ 法師たちまち踊りこむ
針の刀を逆手にもって チクリチクリと腹中つけば 鬼は法師を吐きだして 一生懸命逃げていく
鬼が忘れた打ち出の小槌 打てば不思議や一寸法師 ひと打ちごとに背がのびて 今は立派な大男[i]
一寸法師は体が小さいながら、決して弱くないと思う。小さいから、かえって巨大な鬼に見つからず、自由に戦略を使って、化け物、鬼を退治し、勝利を収めたのである。日本の物語には、一寸法師や桃太郎、金太郎などのような小人がよく出てくる。このように、日本人はこのような小人たちへの愛着が縮み志向の伝統的表現なのであろう。
2.2.2俳句
文学の分野で、俳句というのは、5-7-5の僅か17文字で、物事や情景を表現する形式である。まずは、松尾芭蕉の有名な俳句を見てみよう。
「古池や蛙飛び込む 水の音」この17文字だけを1分間、ジーっと見つめていると、どんな世界が頭に浮かんでくるか。池に蛙が飛び込んでその音が聞こえるだろう。そしてその余韻を感じることができる。俳句は、日本古来の文学世界で、ひらがな換算で17文字がある。ところが、この17文字の描く世界は、その字数をはるかに越えた広がりと深さを持っていることに気が付くはずである。たった17文字に広い宇宙と四季の時間を現した俳句は、「縮み志向」を表す日本文化の代表的なものである。俳句は単に短い詩であるというところにのみ特色があるのではなく、大きく、広い、そして漠然とした世界を、小さく縮小しようとするところに、いわば小さな巨人を作るところに、そのユニークな美学があるのである。俳句は中国の詩と手法が異なるが、結果は同じように物事を巧みに描くことができるのである。
2.3 経済における「縮み」
日本は、第二次世界大戦に敗戦し、アメリカの支配を受けるようになった。日本経済も戦争の影響で全面的に崩壊した。そういう難しい状況から立ち直るには、かなりの時間がかかろうという悲観的な予測もあったが、日本はその後、驚くほどのスピードで経済を回復し、50年代からさらに高度成長期に入って、70年代に国民一人当たりのGDPはアメリカを上回り、世界第一位となり、世界第二経済大国にまでなったのである[i]。経済が急速成長の中で、非常に注目されているのは、自動車をはじめ、デジタル製品、家電などの工業製品である。これらの製品は、日本経済の国際化とともに、世界各国に輸出されており、その製品は品質の良さを強みに、人々に高く評価されている。ここで、経済成長の原因を究明するつもりはなく、日本製のものが人々に人気があることの裏にある原因の一つである縮み志向を論述したいと思う。
今「日本人の縮み志向」というと、ほとんど日本の自動車、家電製品、ロボットの成功に目を引いたのではないかと私は思う。この分野での「縮み志向」の成功例がたくさんあるが、ここでソニーについて話したいと思う。
昭和30年8月、ソニーの前身であった東京通信工業がトランジスターラジオ55を新発売し、短い時間で国際市場を占領し、大ヒット商品となったのである。しかし、トランジスターは何も日本の発明品ではなく、よく知られているようにそれはアメリカの発明である。ところが、それを縮小し、手ごろなものにするのは日本人なのである。だから、トランジスターを瞬く間に大衆的な商品として開発、成長させ、民生用エレクトロニクスの大きな市場を作り上げたのはアメリカではなく、ソニーをはじめとする日本企業だったのである。よく調べてみると、ソニーの日本初の商品第一号はトランジスターではなく、テープレコーダだったのである。テープレコーダはドイツ人によって開発されたのであるが、ソニーはそれを小型化し、値段を下げる縮みの研究をさせて、ついにスーツケースのように持ち運べるものとなり、値段も半分となって、テープレコーダの新しい地平線が開かれたのである。
1979年にソニーから発売されたウォークマンは、世界中で大ヒットとしポータブルオーディオプレーヤーという新たな電化製品のジャンルを開拓した。このように「日本の縮み文化」は、戦後、電化製品という形で、世界中に広まっていった。
上記の部分は、日本人の生活、文学、経済などの面から縮み志向の表れについて論述してみたが、日本語には、「小」の意味を表す言葉が非常に多いことによく気がついた。勿論拡大の意味を表す接頭語もあるが、縮小を表す言葉のほうが一般的なのである。日本人の愛用する「豆」、「細工」などを例として、いくつかの言葉があげられる。豆は、丸い形で、凝縮した宇宙の形とされているようである。そのため、言葉の前に豆をつけば、にわかに小さくなってしまうのである。一寸法師を豆太郎、豆助とも言い、ほかには「豆本」、「豆人形」、「豆皿」もある。いずれも小型で、小さいものを指すのである[i]。
日々の勉強でよく気づいたこのような言葉はたくさんある。日本語には「縮小」を表す言葉が多く、またとても大切にされていると私は感じた。
それに、「死」の文化は日本の縮小文化の極限ではないだろうかと思う。日本人が必死になって働くのは日本人が死の覚悟を生命に組み入れ、目的を達成するために、一生の時間を圧縮して努力することを体現している。このようにしてこそ一分一秒を争うことができ、人生の生きがいをかなえさせることができる。「必死」、「頑張る」、「一生懸命」はこのような縮み志向の代弁である。頑張りさえすれば、桜のような輝く瞬間を創造することができると信じている[i]。
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おわりに
これらの表れを挙げ、なぜ日本人がそんなに小さい物に好きのであるかと考えずにはいられない。『「縮み」志向の日本人』という本の中で、その原因について、李御寧が「いわば外部的な与件のせいでやむなく小さなものになったのではなく、日本人の意識の底に「縮み志向」があったからこそ、進んでそうなったのだと考えられるべきでしょう。」と思っている。それを証明するため、彼は同じ島国である英国の文化型が、むしろ「縮み」ではなく「拡がり」の文化を志向していると言った[i]。
しかし、私はそう思っていない。日本人の意識の底に縮み伝統がありつつ、日本の地理環境が縮み志向に大きく作用していると思う。日本はアジアの東方に位置する4つの弧状列島から成り立っていて、太平洋の西部にある島国である。日本は島国であるとともに国土の約73%を山地が占める。自然資源も乏しい。そして、日本では、人口の5割が国土の14%ほどの平野に集中している。また、特に東京都、大阪市、名古屋市を中心とする地域に日本の人口の5割弱が集中している。こうして、生きるストレスも大きい。これらの外部状況により、日本人が縮みを特に好むのである。一方、イギリスは島国なのに、大半がなだらかな丘陵地及び平原で占められており、国土のおよそ90%が可住地となっている。そのため、国土面積自体は日本のおよそ3分の2であるが、可住地面積は逆に日本の倍近くに及んでいる。そして、イギリスは大量の石炭・天然ガス・原油を埋蔵していて、豊な資源を持っている。だから、日本とイギリスを比較することが適当ではないと思う。
ところが、すべてのものが二つの面がある。その通りに、日本には縮み文化のほか、拡がり文化も存在している。「大」という字が日本人に愛用される。たとえば、日本語から見ると、「大和民族」、「大和丸」、「大相撲」などがある。そして、毎年8月16日のお盆に、京都が盛大な祭りを行う。その中「大文字の火」という儀式がある。また、日本近現代史から見ると、1930年代に入って、日本は拡がりの政策を取り、侵略戦争を始めた。
日本人は保守的なのに革新に優れている。おとなしいとともに頑固でもある。先進的な文化を取り入れることが上手なのに、伝統文化の主体性を維持することもできる。まさに『菊と刀』という本の名前のように、菊は上品でやさしいこと、刀は武力と惨いことを象徴し、二つの対立した品性は日本人の性格につり合っている[i]。
本論文は、日本人の縮み志向の伝統的な表れを通して、縮み志向を簡単に論述した。日本人は縮み志向があるからこそ、謙虚で積極的に世界の先進的な科学技術と文化を受け入れ、さらに改造する。一方、細部を重視する。現代社会に、特に戦後において、日本は経済に大きな成功をあげたのはこの縮み志向が欠かすことができないということである。このほうから言えば、わが国にとっていい手本であると思う。
謝 辞
本論文の作成にあたっては、私の指導教官の雷国山先生にたいへんお世話になり、終始先生に親切なご指導をいただくとともに、またその厳格な研究姿勢も学ばせていただいた。心よりお礼を申し上げる。
また、指導してくださった先生以外にも、多くの方々から貴重なアドバイスをいただき、多大な協力を得た。ここに、親切に協力してくださった皆様にも感謝の意を表す。
参考文献
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