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序論
猫は世界中で広く飼われている動物だ。愛玩動物として飼われるようになったのは、『枕草子』や『源氏物語』にも登場する平安時代からとされ、宇多天皇の日記である『寛平御記』(889年〈寛平元年〉)2月6日条には、宇多天皇が父の光孝天皇より譲られた黒猫を飼っていた、という記述がある[62]。奈良時代頃に、経典などをネズミの害から守るためのネコが中国から輸入され、鎌倉時代には金沢文庫が、南宋から輸入したネコによって典籍をネズミから守っていたと伝えられている。
流れるような肢体に、艶やかで滑らかな皮毛を持つ美しき存在は猫だ。どんなに長く、たくさんの猫たちと暮らしても、けっして知り尽くすことのできない存在は猫だ。どんなに愛されても、愛されなくても、けっして自分を失うことのない存在は猫だ。日本では、鳴き声の語呂合わせから2月22日が「猫の日」とされる。
しかし、ネコ好きな人間がいるけれども、ネコ嫌いもまた多いと考えられる。例えば、猫好きにとっては魅力的である鳴き声、仕草、人間に媚びない習性などに嫌悪感を抱く人もいる。ネコの性格は気まぐれとされ、行動・習慣はむしろ頑固で多分に自己中心的であり、イヌが飼い主のしつけによく反応し強い忠誠心を示すのとは対照的であるとされている。
その故、本稿で猫に関するの言葉から日本人の猫に対するイメージを研究したい。猫については、多くの名言・至言が残されている。良きにつけ悪しきにつけ、我らが猫ほど多くのことわざや慣用句に登場する動物はない。これは遠い昔から我々の生活に深く入り込んでいたことの現れだろう。しかし、多くの先行研究[63]は猫に関する言葉の列挙にとどまり。それに、猫文化が日本文化に与えた影響を研究する学者は多い、猫という動物が日本人に残れたイメージを詳しく研究した方はあまりない。だから、本稿で、ことわざ・慣用句に見えがくれする日本人の猫に対するイメージを探ってみたい。
第一章 良い存在としての猫
1.1猫が良い存在とされる理由
人間の生活への影響から言えば、日本に伝来してから長きにわたってネコは貴重な愛玩動物扱いであり、鼠害防止の益獣だ。貴重なネコを失わないために首輪につないで飼っている家庭が多かったため、豊臣秀吉はわざわざネコをつなぐことを禁止したという逸話がある。ただしその禁令はかなりの効果があり、鼠害が激減したと『日本通史』に書いてある。ネコは優秀なハンターとしての能力と本能を持っている。非常に狩りを好む気性は欲求と言っても差支えないぐらいである。古来、人に飼われてきた理由もネズミ等の駆除能力によるところが大きかった。
猫の特点から言えば、樹上生の傾向が強く、また、待ち伏せ型捕食者の典型であるネコの特性は、様々な身体的特徴として見ることができる。ネコの体は非常に柔軟性が高い。非常に優れた平衡感覚に、柔軟性と瞬発力のきわめて高い体の構造、鋭い鉤爪(かぎづめ)や牙などであり、足音が非常に小さく、体臭が少ないことも挙げられる。また、爪を自由に出し入れできることはその鋭さを常に保持できることを意味し、ほとんどのネコ科動物に共通する特徴である。
1.2猫に関する良い言葉
1.2.1猫に関する良い諺
(1) 猫の自然属性に関する良い諺
「猫撫声」:猫が撫でられた時に出すような甘えく媚びを含んだ声。自分になつかせようとわざと出す、甘い柔らかな語調。
「猫の歯に蚤」:猫が蚤を噛みあてることはめったにないことから、まれなことや不確かなことのたとえに使われる。
「猫舌」:熱いものを飲んだり食べたりするのが苦手な人をいう。
猫が熱いものを嫌うから、ということらしいが、熱いものを嫌うのは猫に限ったことではない。また、ある程度の温度のものなら、猫も食する。こうして何かと引き合いに出されるのは、やはり猫が昔から身近な存在だったからだろう。
「猫の目」:猫の目が明るさによって大きく形を変えることから、移り変わりが激しい、変化しやすいことのたとえ。「猫の目玉と秋の空」と使われる。
「猫面」(ねこおもて、ねこづら)猫のように寸の詰まった短い顔、またはその人のこと。
猫の体は特色がたくさんある。例えば、瞬発力が高く、跳躍力にも長けている。毛は品種により、さまざまな毛色や毛質のバターンを持つ。同品種でも、多様な色彩や模様をもつ珍しい猫もいる。かわいい顔をしている猫は人に愛されるのは当然だ。猫の体の各部分を頼りに、言葉が作り出されるのは予想外ではないだろう。
(2) 猫の行為に関する良い諺
「鼠捕る猫は爪を隠す」:才能のある人は、その力量をむやみに人前で示すことはないという例え。「上手の猫が爪を隠す」「猟ある猫は爪を隠す」とも。「鼠捕る猫は音を出さぬ」「鼠捕らずが駆け歩く」も同義だ。
「猫が胡桃を回すよう」:猫が胡桃をもて遊んで回すように、じゃれついたり、ちょっかいを出したりすることの例え。
「猫が茶を吹く」:猫が熱いお茶を吹いているような、滑稽な表情のこと。
「猫に紙袋(カンブクロ)で後退り」:猫の頭に紙袋を被せると前には行かず後へさがることから、後退りすることの例え。「猫に紙袋」とも。
猫は紙袋が大好き。でも自分から入って行く時は前進するのに、無理矢理被せると確かに後退りします。
「猫可愛がり」:撫でる様にして、やたらと可愛がる事。始終子猫の頭を舐めている親猫の様子から出来た言葉。
猫の日常生活にいろいろなばかばかしい行為が時々ある。ばかばかしくてかわいくてたまらないときもあるだろう。その行為を諺に運用して、もっと生き生きしている。ユーモアも富んでいる。
(3) 猫の習性や生命力に関する良い諺
「猫の寒乞い」:寒がりで冬を嫌う猫でも、さすがに真夏には冬の寒さを恋しく思うということ。寒がり屋でも暑い盛りには冬を恋しがるというたとえ。
「秋の雨が降れば猫の顔が三尺になる」:雨の日は暖かなので、寒がりの猫が顔を長くして喜ぶのをいう。寒の雨が三日続けば猫の顔が三尺になる。一説に、秋の長雨には猫でさえ退屈するの意とする。
「猫に九生あり」:猫は命が九つもあって何度でも生まれ変わってくる。猫は執念深く、なかなか死なないことをいう。
「猫は長者の生まれ変わり」:猫は前世、長者だった人の生まれ変わりだということ。猫は長者のように、いつものんびりと眠ってばかりいることから。
「猫跨ぎ」:魚の大好きな猫でさえ、一瞥もくれず跨いで通るほどまずい魚という意味。また、魚を食べるのが上手な人が身をきれいに取って食べ、骨だけ残った様子を形容するときにも使う。
猫は猫でも手で魚を押さえて上手に食べ、猫が跨ぐほど見事に骨だけを残す子もいれば、見るも無惨、ぐちゃぐちゃにしちゃう子もいる…器用、不器用は猫にもあるのだろうか。
第二章 悪い存在としての猫
2.1猫が悪い存在とされる理由
猫の性格から言えば、白晓光氏が「日本のイメージ 猫」の中に、「明治時代のとき、芸者を猫に比喩することはよくある。」[64]と述べる。その原因と言えば、「魔性の猫のように芸者は猫なで声を使い手練手管で男をたぶらかすから」[65]という解釈もある。猫は怠け者だし、よくうぬぼれているし、主人に取入り機嫌を取ることにも上手で、猫が悪い存在だと思っている人もいる。
猫の習性から言えば、糞尿のにおいが強く、飼っている小鳥や魚が殺されるなど小動物への被害、爪を研ぐ、ネコの習性であるマーキング、台所を荒らされる、発情期の雄叫びなどの害に悩まされることがある。それに、躾(しつけ)をすれば人間のトイレで用を足すことが可能なほど知能の高いネコにとって、褒められ続けることにより、わざわざ捕まえたネズミなどを人間の目に見える場所に放置し披露するなどといった、人間から見て極端な行為も起こす場合がある。
2.2猫に関する悪い言葉
2.2.1猫に関する悪い諺
(1)猫の体に関する悪い諺
「猫ばば」:悪事を隠して知らん顔すること、特に拾った物をひそかに自分の物にすることの意。
語源には2通りの説がある。一つは「猫+糞(ばば)」とする説。猫がふんをした後、後足で土をかけて隠す習性があることから生じたというものだ。
もう一つは「猫+婆(ばば)」とする説。伝説によると、徳川時代の中期、江戸は本所にたいそう猫を可愛がっていた老婆がいたという。医者の祖母であったこの老婆は、30匹もの猫を飼っており、猫専用の部屋をあてがい、猫専用女中まで置いて猫の世話をさせ、大切に育てていた。ところが、この老婆にはとんでもない性癖があった。単なるもの忘れのせいか、承知の上での欲張りのせいか定かではないが、人から物をもらっても決して返礼せず、届け物を頼まれても自分の懐に入れてしまうというのだ。以来、いつからともなく「人の物を横取りする」といった場合に「猫婆」と言われるようになったという。現在では、「猫+糞」を語源とする説が有力視されている。
「猫の鼻」:いつも冷たいもののたとえ。「猫の鼻と愛宕山とは真夏も冷ゆる」「猫の鼻と女の腰はいつも冷たい」「猫の鼻と傾城の心は冷たい」など、猫の鼻は土地であれ、心であれ、冷たいものと並べられて、いろいろな慣用句を生み出している。
「あってもなくても猫の尻尾」:あってもなくても、どっちにしても大したことはないというたとえ。
「女の心は猫の眼」:くるくる変わりやすい猫の眼に女心をたとえたもの。
「芸妓の心と猫の鼻はいつも冷たい」:遊女の心は冷たくて誠意がないの意を表す。
猫の体には必ず悪い面もある。冷たい鼻、変わりやすい目、においが強いばばなどがある。猫の悪性が人に借りられて、いやな人と人間のいやな態度をたとえて、言葉は具体的になるだろう。
(2)猫の「行為」に関する悪い諺
「猫に小判」:どんな貴重なものでも、どんな高価なものでも、その価値のわからない者に与えては、何の役にも立たないという喩え。確かに猫に小判を投げてやっても、匂いを嗅いで、前足で砂をかける仕草をするのがせいぜいかもしれない。一方で、小判、大判を抱えた招き猫は、実に自然に見えるから不思議だ。同義で、「猫に石仏」「猫に経」という言い回しもある。
「猫は三年の恩を三日で忘れる」:猫は三年の間飼ってもらった恩も三日で忘れてしまうくらい、恩知らずということ。「猫は三 年飼っても三日で恩を忘れる」とも言う。「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」そうで、猫は正反対の悪者になっている。
「猫の食い残し」:猫は全部きれいに食べずに食べ残すくせがあることから、食べちらかした様子の例え。
「皿嘗めた猫が利を負う」:魚を食った猫は逃げてしまってとらえられずに、あとから行って皿をなめた猫が罪をしょいこむ。大悪人や主犯は捕まらずに、小物や従犯だけが罰を受けること。
「猫被り」(猫を被る):本性を隠して表面おとなしそうに振る舞うこと。また、知っているのに知らない素振りをすること。
語源には2通りの説がある。 一つは、猫のようにうわべだけ柔和にする意という説。猫をうわべだけ柔和で内心は貪欲だったり陰険だったりするものと捉えた表現には「猫根性」とか、「借りてきた猫」などがあるが、猫にとってはありがたくない言い回しだ。もう一つは、ねこ(わら縄を編んだむしろ)を被る意とする説。ちなみに英語では a wolf (fox) in lamb's skin (sheep's clothing) となり、我らが猫は無罪放免となっている。
猫の柔らかい体にきっと、天使と悪魔の両方の魂があるかもしれない。時々猫のいたずらは本当に泣くも笑うも叶わずだろう。
(3)猫に関するほかの悪い諺
「小姑一人は猫千匹」:嫁にとって小姑は、猫千匹に匹敵するほど厄介な存在であるということ。
「子供も猫よりまし」:子供も時には役に立ち、食べるだけで何もしない猫よりはましである。
「女の怖がると猫の寒がるは嘘」:ともによく見せる動作だが、内心と違うことがある。
「猫を追うより鰹節を隠せ」:猫に鰹節を食われてしまうからと、たえず番をして猫を追い払うより、鰹節の方を隠せばあっさり問題は解決することから、 些末なことより、根本を正せという例え。「猫を追うより皿を引け」「猫を追うより魚を除けよ」も同義。
「猫に傘」(からかさ):猫の目の前で、傘を突然開くとびっくりすることから、驚くこと、嫌がることなどの例え。
ネコの性格は気まぐれとされ、行動・習慣はむしろ頑固で多分に自己中心的であり、イヌが飼い主のしつけによく反応し強い忠誠心を示すのとは対照的であるとされている。
第三章 日本人にとっての猫イメージ
今、猫は日本の大部分の人愛にされている。しかし、明治時代のとき、猫、それに、「ねこ」この言葉は人によくないイメージを残っていた。その時、猫は芸者や芸妓の代名詞だった。明治時代に、猫を食べる習慣を持っていた。夏目漱石の名作『我輩は猫である』の中に「(書生は)時時われわれをつかまへて煮て喰ふ」という描写もある。猫にとって、明治時代は受難の時代だったと言えるだろう。
それに、日本では、不器用な人というなら、「猫よりまし」と言う言い方がある。なぜかと聞くと、たぶん猫はいつも行楽するばかり、恩返しなどをしないかもしれないと答えてくれる。
一部分の中国人は猫を不吉な動物だとする。それはいろいろな理由がある。例えば、夜、黒い猫を見かけると縁起が悪い。それに、猫を逆さまに撫でると、運が不運に転じる。猫と蛇が親しそうに出会う夢は、険悪な争いが始まることを暗示する。などなど、猫にまつわる迷信は数えきれません。それは、猫の多面性、神秘性によるものなのだろう。
一部の中国人は猫が不吉な動物だと思うけれとも、日本人は猫が福や富を招くマスコットだと思っている。日本人が好きな猫、代表的なのは招き猫やHELLO KITTYだろう。
日本を旅行すると、招き猫の寺さえもあることが分かる。もっとも有名な寺は東京世田谷の豪徳寺だ。豪徳寺は昔から名高い寺だ。しかし、江戸時代の初めには、この寺は訪ねる人が少なく、寂れていた。そのころ、住職は猫一匹飼っていた。ある日、住職は意気消沈した顔をして、猫に「もしきみはこちの悩みを知ると、何か幸運を持ってくれるかなあ。」と話した。彦根の大臣井伊直孝と彼の下人は狩の途中でちょうど豪徳寺を通った。彼らは一匹の猫が手を上げって、彼らを招いていた様子を見た。その故、井伊直孝と彼の下人は豪徳寺に入って、休みに行った。住職とお茶を飲んでいたとき、外は雷鳴と稲光入り交じってきた。雨が止めたあど、井伊直孝は非常に嬉しくて、住職に「その猫のおかげて、雨を免れた。これは何かの因縁かもしれない。」そして、豪徳寺は井伊の守りに、線香がたえなくなる。[66]招き猫は日本で最も典型的なマスコットだ。この典故は招き猫の由来かもしれない。この招き猫を皮切りに、猫は日本風雅な舞台を踏んだ。
招き猫の伝説、日本で風雅な舞台に登場したのだろう。日本人はよく猫の物語を頼りに、普通の生活に実現しにくい夢と理想を表す。
日本人は猫に特別な情を持っている。日本にも独自の猫文化もある。日本で、猫は貴重で、非凡だ。猫はさまざまな丁寧な特別の配慮を受けている。日本の猫の保険もあるし、商店にも猫の食べものや飲み物があるべきものは何でもそろっている。
世界中の事物はすべて、矛盾対立する二つの面をはらんでいる。猫も同じだ。猫も人に好きになれるときもあるが、人に嫌がれるときもある。人に嫌われるのは罪や迷信と繋がっていた歴史があるのだ。例えば、猫が耳の後ろを洗ったら、雨になる。猫が暖炉の火に背を向けて座っていたら、霜が降りるか、嵐が来る。猫を殺したら17年間不幸が続く。死人が安置されている部屋に猫が入って来たら、その猫に最初に触った人は盲目になる。
夢の中に登場する猫についての迷信も数多くあります。神秘的、霊的な猫が夢に出て来たとあっては、そこに何らかの意味を探ろうとするのも自然なことだと思われる。猫と結婚や恋を結びつ付ける迷信は多いようだ。などなど、猫にまつわる迷信は数えきれません。それは、猫の多面性、神秘性によるものなのだろう。
結論
本稿は日本の猫に関する言葉を研究することを通して、日本人の猫へのイメージを分析した。
日本語には動物に関する熟語や慣用語がたくさんある、その中で猫に関する言葉の数量は一位になる。それに、猫を物語の筋立てにする、あるいは猫に関する文学作品も多い。周知のとおり、言葉は生活から生まれたものだ。日本語にさまざまな猫に関する言葉があることは猫文化が日本の社会文化に誰も取って代われない位置を占めていることを表している。
これらの諺や表現が比喩という修辞を頼りに、猫を喩体として、具体的で、生き生きとしていて、ユーモアのセンスに富んでいる。猫を借りて、心の感情を表す効果は他の言葉に比べようがない。分かりやすくて、生き生きしている比喩は猫文化の言葉の特色だ。猫から出てきた想像は言い出す人と聞き取る人両方の強い共鳴を引き起こしやすくなる。
現代日本人の猫好きは往々西洋人の作り出した猫に関するよい言葉とよくない言葉を借りて、自分の猫好き・猫嫌いの立場を弁明するか、もしくは猫飼いを勧める或いは猫飼いに反対する立場を表明する。[67]
本稿で、猫と日本人の生活のつながりを簡単に了解することができる。他の動物と比較すると、他の動物、たとえば、虫や牛や虎や犬などに関する言葉はずっとすくない。この点も猫が日本にとってどんなに非凡だろうかをはっきり示すことができるだろう。
謝 辞
卒業論文の指導教官として、多くの参考資料を紹介していただき、ご多忙にもかかわらず、何十回も指導していただいた雷国山先生に心より感謝の意を表します。先生のおかげで、言葉から日本人の猫へのイメージがよくわかりました、今後ともことわざの研究を続けていきたいと思います。
参考文献:www.eeelW.COM
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